決断~成長を祈り~

今日の仕事は夜勤明け。余りにも天気がよく、寝てはいられず

桜を見ながら、ぶらぶら散歩を

してきました。ちょっと考え事があったのと。


歩きはじめ、空にむかい、行先を導いて下さいと祈りながら。


歩いている途中、看板やお店の名前に、ヒントを頂きながらゆっくりとした時間を過ごしました。


歩いていて、一番下の娘のことを思い出しました。この道は、2人で通ったなあと思い出しながら、涙が出そうな気持ちになり。


今日、家に帰ったら、このテーマを書こうかなあと、そんな気持ちになりました。


前にも、不登校の記事を書きましたが、今日も娘のパターンで

お話ししたいと思います。


娘が不登校になったのは、小学3年生。毎年、行ったり行かなかったり。そんな感じが続いていた。何故、不登校になったのか、娘自身も、友達もいて、いじめにあっていた訳でもない、勉強についていけない訳でもない、長男が不登校だった家の環境が大きかったのかも。私自身が、また不登校と表情が暗くなっていってたのは、輪をかけてしまっただろうと振り返りますかなあと。娘のことは、小学6年の時のことを書こうと思う。学年が上がり、5月ぐらいまでは登校出来ていたのだか、それ以降は行けなくなり、家で過ごす日々。休日、クラスのお友達が遊びには来てくれたが。2月ぐらいまで続き、卒業式か真近になった頃、式には出たいと娘の希望が出てきた。卒業式を目標にし、保健室登校からはじめ、友達からのお手伝いもあり、前日にはクラスに上がれ、卒業式には出ることが出来た。1か月の間、娘と私の必死の毎日。娘が頑張りぬきました。


その頑張りのお陰か、中学は普通に登校出来ていた。しかし、娘が不登校だったことが、少しずつ噂になってきたと、気にするようになってきていた。



1学期が終わり娘から、誰も知らないところに、リセットしたいと言ったきた。自分が不登校だったことは忘れて遠く離れた、祖父母がいる場所から、通いたいと言ってきました。



悩んだ結果、主人は今までのことを考え、最後だぞと言い認めた。

早速、転校したのだが、私も当初は中学卒業まで共に過ごすつもりでいたが、そうは行かず、私だけ自宅に帰ることになった。


娘と離れること、どんなものかと悩んだのだが、最終的に娘が自分で選んで来たことだから、最後まで頑張ると言ってきてくれたことが答えになった。私的に割り切ったのは、私も小さな頃から色々な思いしたなあと。そして、今となればその思いが自分の心の成長に繋がっていると感じている。この子、個人の心の成長と考えた場合、娘には娘の人生の成長、私には私で自宅に帰り、自分自身の成長があると。この何年間、私から離れることで強くなり、この子の人生に必要なことを味わっていくのかなあと思いました。そんな事がよぎり。そして、離れても心配はしないと、心にちかいました。


不安を心で思ったら、離れてても不安がつながると思ったので。頑張ってる、大丈夫といつも思っています。


一般常識で考えたら、中学の子供をと非常識に見られていると思う。

でも、娘のことを見てきたからこそ、決断したこと。成長願い。


今、娘は元気に学校に通っています。私は、こんな選択をしました。不登校には、そして子育てには

色々な形の決断があると思います。


私は、世間の常識からは、かけ離れた行動ですが。


今日の夕方、母から電話がきて、制服新しいの買ったよと喜んでいると連絡が入りました。


今日は、娘の不登校と戦ったことを目標書こうと思いながら、歩いてた時の電話で、よかったんだよと言われた感じがしました。


勿論、毎日のように、LINEが電話が、入ってきます。離れていても心が繋がっていれば大丈夫。


今日は、こんなお話しです。


こんな私みたいな、世間から見れば非常識な母親もいます。子育てで、悩んでいる皆さん、心配しないで自信持って進んで下さい。


今日の散歩の途中、未来建設という看板があり、私のブログ名miraiとつけたので、今日はブログを書こうと。ヒントって、近くに見せられたり、今日は素直に行動しました。他にも色々、学びながら歩きました。


そして最後、昨年、主人と娘と3人で行った桜の木にたどり着きました。


今日も、読んで下さりありがとうございました。


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