大丈夫だから

今、何かあって悩んでいる人、苦しい人。


大丈夫だから。


きっと出口はあるから。


あなたは守られているよ。


こたえは案外、近くにあるもの。


心が、喜ばないことは、進むみちが違うということ。


疲れきってしまう前に気がついて。


心澄ませば、あなたの答えはある。


大丈夫だから。


楽しいこと思い浮かべれば楽しい方向に。苦しいことを思い浮かべれば苦しい方向に。


自分の心の中、単純なことに、気がついたら、幸せになれるよ。


心が幸せらばしあわせ。


しあわせへの道がつくられる。


あなたの可能性を信じて。


大丈夫だから。


不登校~1日遅れの誕生日プレゼント~

私は、3人の子どもを不登校にしてしまった、おかあさんです。その息子から、あの時のこと書いてみたらと言われ、挑戦してみようと書き始めました。


パソコンをうち始めた途端、自然と涙がでてきて。余程、辛かったんだろうと感じながら進めています。


今も部屋に娘のランドセルが飾ってあります。きれいなランドセル。一番下の娘が小学1年の頃、3人が、行ってきますといっていたあの頃、まさか次の年からあんなに苦しい日々を送るとは思わなかった。


今から6年前になるが、長男が中1の冬に学校に行けなくなった。それまで、部活にも入り順調だったのに。部活内の人間関係が発端だった。間に挟まれ、身動きがとれなくなった息子。あの頃は、自分の意見を言える自分ではなかったと当時のことを長男が振り返り話す時がある。正月休み過ぎ少し過ぎた頃から、ポツポツと学校を休むことが出てきた。不登校になる恐れから、私は行きなよと責めていたと思う。休みがちになった長男に友達が訪ねてきても、ダメだった。すっかり心はおれ、ポツポツと行っていた学校も、期末テストは受けてよの願いも、受ける気力もなくなっていた。不登校のはじまりだった。それから1か月は

家に閉じこもり、外にも人と会うことさえ出来なくなっていた。その1か月の間、彼が見つけのはカードゲーム。弟が小学校から帰ってきて対戦するのが彼の日課。私はカードゲームを理由に外に連れ出した。ゲームの機械がある所。それも知っている人に会わなくてもすむ場所まで。当時9時~18時の仕事、下2人を抱え、容易ではなかった。外への思いで、1日おきに連れて行った。それをきっかけに学校のことも話していった。当時の不登校対応の先生と話ししながら。人と会うこと、先生にも会えない長男。それでも学校にやりたい思いから、夜部活が終わったあとの学校に足を踏み入れることを目標にした。長男には、学校行こうと伝えたと思う。長男も、自分でもわかっている、行きたいとは思っていると。行きたいとは思っているの言葉に、夜行くという提案を持ち掛けた。行くとのことだった

19時30分過ぎ、不登校対応の教室に行くことが目標。入れる時と車から降りれない時もある。学校自身にいけない時もある。そんな日々を繰り返し、学校に行くのを朝にもっていくようにした。朝、不登校対応の教室に行くこと。先生に会うことが出来ない長男、教室に入るのは、朝のホームルームの時間、8時20分からの10分間。私が仕事していたのもあり、その選択となった。車を学校の裏につけ

私が先に降り、廊下に先生が歩いていないか確認をし、教室まで走り込む日々。わずかな時間教室に入り、又車に戻り、自宅に送る日々。暫くして、30分は教室にいるように促し、この時点で先生に送って貰うことは承諾してもらった。

8時30分まで、教室に入れ、後は

先生から送って貰うか自身で歩いて帰る。その日課となった。勿論行けない日もあったのだが。朝以外、夜連れ出し、ドライブに行き会話をもつ。日曜は長距離ドライブに行き、外を歩けるようにするそんな日々を繰り返しながら、テストは別室で受けられるようになり進んで行った。息子が車に乗っている姿を見て、同級生の子が大きな声で呼んでくれたこと、私自身が凄く嬉しかったことを覚えている。


そんな長男が、2学期の終わり頃、友達に会いたいと言い出した。

それまで、担任の先生に会えなかった長男が承諾し、面談することになった。その場で、何人かの名前をあげ、携帯だったらメールが出来ると。当時は、主人は携帯を持つ事は反対だったので、私の判断で携帯を与え、友達とのやり取りが始まった。年が明け、友達の呼び掛けで、近くの公園に部活の子たちが来てくれることになった。その前の日に長男が、俺、明日みんなに会って、学校に行くから、

もうカードゲームいらないから、今日売りにいくと。集めたカード一緒に持って行きました。私の方が大丈夫なのと思いながら。

そして次の日、公園に行き、ほぼ

1年ぶりに友達と再会しました。

それから何日かして、不登校だった子が、部活の朝練からさんかをし登校して行きました。


丁度不登校になり1年。私の誕生日の次の日に。1日遅れの誕生日プレゼントとなりました。


ここで、不登校の第1幕は終わり


それから、甘くはない、今でいう

発達障害の問題など、ついていけない問題が出てきたのだか、又の機会に書こうと思う。


でも、全てこれで終わった訳ではなかったのだか、この時の2人が頑張った絆は心に残っている。

長男は言う。あの時、学校に復帰出来たことは自信になっているし外に普通に出れるようになったことが一番良かった。あれから色々あっても出れないということはなくなったからと。


その時、その時を精一杯やったことは、無駄ではない。今、振り返れるようになったことを感謝している。そして、お世話になった先生たち、息子の友達に。


子どもたちから、試練を貰い、怒ってばかりの駄目な私を、おかあさんにさせて貰っています。子どもたちにありがとうと言いたい。

かみさまからのギフト~エッセイ~

人生のグルグル渦巻き。人は、出口を探してまわっているんだろう


出口からでるために。

わたしはここ数年、子どもの不登校の悩みの中、渦巻きをまわってきた。


出る道をさがしていた。



まずは、わたしの過去を振り返る作業。子どものころを思い出した

我慢している私、言いたいことが言えない私。


グルグル渦巻きで必死に走ってきた答えがあるようだった。


子どもの頃から、渦巻きの中頑張ってきていた。辛かった自分を慰めてあげた。そして、吐き出した抱えてきたことを。


そして、過去にありがとう。と言うことにした。今まで関わってくれた人に感謝と何より両親に感謝の気持ちになることが大切だった


過去にありがとうと言えたら、洋服でも髪型でもリフレッシュ。


ここから、グルグル渦巻きを出ていく作業。


まずは、自分を甘えさせて。1日1回でいい。くつろぐ時間。私はアロマやお香、好きな音楽、夜景を見たり、ゆったりする時間を作った。


言っておくけど、少し前までのわたしには、そんな余裕もなく、日々に追われていた。


今は、この時間を作れる心の余裕にしあわせを感ている。


笑顔でいることが、家族をしあわせの方向に導く、簡単なことだった。


わたしは自分の余裕のなさから、おこってばかり。子どもの心も可能性も狭めてしまったのだろう。


たとえ、離れていても、思いは伝わるもの。だから心配はしないことにした。大丈夫だから。上手くいくよと心のなかで子どもを思うただそれだけでよかった。


その中に厳しさもあり。筋だけは子どもに伝える。


でも、そのあとは笑顔にもどる。


わたしは、我が家を株式会社と思うことにした。会社をよくするためにマネージメント。結局家事しかないけど。あんなに嫌だった家事が嫌でなくなった。


それでも生活していれば、色々おこる。以前なら、世間の常識にとらわれ怒っていたけとも、見方を変えれば、その子の長い人生考えたら、おきていることがありがたいことに変わってくる。


すべては必要だからおきている。その先にはきっと、進む道が待っている。まっすぐな道が。


それに気がつくまで、かなりの時間がかかった。


子どもの頃の思いや不登校のこと、他にもいっぱいの苦しい思い、必要だったと思えるようになった


子どもたちが、わたしに与えたギフトだった。おかあさんになるために。


かみさまからの、心から笑顔になるためのギフトだったのかもしれない。


グルグル渦巻きからは、必ず出口がある。貴方が、必死で走ってても大丈夫。ギフトだったと思える日がくるから。


人生に無駄な事はない。今、子どもにおきている出来事も、彼らには彼らの人生に必要だからおきていること。


だから心配はいらない。進む道があるのだから。


わたしも子どもも、家族が、今日も進む道にむかって歩いています


こたえは、常に自分の中にあることを、心におきながら。